コンプライアンスを 学ぶ

コンプライアンスの歴史はいつから? 誕生からSDGsまでの変遷をプロが解説

2023.10.17 更新

「私がエンロンにいたとき、詐欺をしているなんて思ってもみませんでした。私は正しいことをしていると思っていました。誰もがルールブックを手にしています。でも、そのルールを最大限に活用して抜け穴を見つけられる人は、有利になると思っていました[1]。」

これは、米エンロンの元CFOで、2001年に不正が発覚した粉飾事件の当事者だったアンドリュー・ファストフ氏が、2017年のインタビューで当時を振り返って述べた言葉です。

エンロン事件が起きるまで、コンプライアンスといえば「法令遵守」を指していました。しかし、この事件をきっかけに、企業は「ルールを守る(=法令遵守)」だけではなく、その先にある倫理観を強く持つことが一層求められるようになりました。

このように、コンプライアンスは何らかの企業の大きな不正を背景に成立し、その範囲を広げ、強化されてきました。

その歴史を知れば、コンプライアンスの意義や存在理由、そして社会を反映する面白さ、未来に向けた発展性などを感じていただけるでしょう。

今回は、コンプライアンスのプロが、その発端から最新トレンドまでを含めた「コンプライアンスの歴史」をご紹介します。

その中には、「コンプライアンスの概念を拡大させたキーワード」がありますので、注目してみてください。

また、具体的なイメージが持てるよう、「歴史を変えた事件や法令・制度改正のエピソード」も詳しくお伝えできればと思います。

本稿が、皆さんの更なるコンプライアンス理解の一助になれば幸いです。

[1] Elizabeth Blosfield, Ex-CFO of Bankrupt Enron Offers D&O Lessons from Accounting’s ‘Gray’ Areas, INSURANCE JOURNAL, February 15, 2017, https://www.insurancejournal.com/news/national/2017/02/15/441619.htm (閲覧日:2021年8月13日)

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1. コンプライアンスの歴史:法令遵守からリスクマネジメントへ

ここでは、法令遵守の意味で使われ始めたコンプライアンスの概念が、いかにしてリスクマネジメントの意味まで含まれるようになったかについて、その歴史やエピソードを紹介します。

1-1. コンプライアンスは1960年代にアメリカで生まれた

「コンプライアンス」が法令遵守の意味で使われ始めたのは、1960年代の米国だと言われています。

当時、石油、鉄鋼、自動車産業などの主要産業では、少数の大企業が市場を支配する寡占状態にあり、独占禁止法違反や贈収賄などの法令違反が発生していました。

政府は違反事件の度に法令を改正し、罰則を強化しましたが、同じことが繰り返されるという悪循環の状態が続いていました。

この状況を変えたのは、1991年に法制化された「連邦量刑ガイドライン(United States Organization Sentencing Guideline)」です。

連邦量刑ガイドラインは、 企業が法令遵守のためのコンプライアンスプログラムを制定して実施することにより、法令違反で有罪判決を受けた場合でも、コンプライアンスプログラムの有効性が評価されれば、罰金による量刑が減額される法律です。

連邦量刑ガイドラインにより、企業は、「コンプライアンスプログラム」を積極的に制定するようになりました。

企業活動において、コンプライアンスプログラムを制定することは、法令遵守を社内外に宣言することを指します。

1-2. リスクマネジメントの起源は保険業界

コンプライアンスプログラムを実行することは、法令違反を企業が自ら積極的に発見して防ぐという「予防法務」が経営に組み込まれることを指します。

法令違反のリスクに対する予防法務は、「リスクマネジメント」の考え方です。

リスクマネジメントは、1950年代の米国において、保険を手配する方法として考えられました。

当時は、保険金支払いの増加で保険会社が赤字となり、保険料の値上がりが続く状況にありました。そのような状況の中で、合理的に保険を手配するために、企業が予防措置を取るという形で「リスクマネジメント」が生み出されました。

例えば、日本の健康保険に相当する労働保険で行われる次のようなアプローチが、「リスクマネジメント」に当たります。

労働保険では、従業員の健康増進をはかるためのプログラムを作成し医者にかかることのないようにしていけば自然と医療費の保険請求が減少し、赤字から黒字に転換すれば労働保険の引き受けが可能になり、さらによくなれば安い保険料を得ることができるようになります。 [2]

この例のように、米国の労働保険では、事故の発生率を予測し、その可能性を軽減するために予防措置を取り、安定的に保険を成立させようとしたのです。

1-3. コンプライアンスにおけるリスクマネジメントの成立

保険業界で生まれたリスクマネジメントの概念が企業のコンプライアンスに取り入れられたのは、1991年に「連邦量刑ガイドライン」が成立し、コンプライアンスプログラムが発動した時期に重なります。

その後、法令遵守の考え方と効率的な経営、双方を実現するために色々な工夫が図られました。

現在のリスクマネジメントは、リスクを制御しようとするアプローチである「リスクコントロール」と、リスクに資金的な手当をしようとするアプローチである「リスクファイナンス」から構成される経営戦略の手法です。

両者は、企業が予防措置を含むリスクコントロールを実施することにより、リスクに対する資金的な手当である保険を含むリスクファイナンスを手配できる、という関係にあります。

例えば、損害賠償保険は保険会社が企業のリスクコントロールを評価して、損害賠償責任の一部を引き受ける保険です。

そのため、企業が対象のリスクを制御できていない場合、保険会社が保険を引き受けることができないことがあります。また、例え引き受けたとしても、保険条件は厳しくなります。このように、企業のリスクコントロールとリスクファイナンスは、それぞれが影響し合う関係にあります。

法令遵守に関連する保険としては、製造物責任法に基づく製品の品質リスク管理が前提のリコール(製品回収)保険や、個人情報保護法に基づく個人情報のリスク管理が前提の個人情報漏えいに対応するサイバーリスク保険などがあります。

残念ながら、企業活動における法令違反を完全に防ぐことは不可能です。ただし、企業が法令違反の可能性を予測し、軽減するための予防措置を取ることにより、事故発生の確率を下げることは可能です。

リスクマネジメントは、企業の法令遵守の姿勢に対する宣言であるコンプライアンスプログラムの中に組み込まれ、予防法務によるリスク軽減の手法として機能しているというわけです。

コンプライアンスとは 法令だけじゃない、CSRとリスクマネジメントの重要性

[2] 箱守 栄一「リスク・マネジメントとは」,『ネットTAM』,2010年5月15日,https://www.nettam.jp/course/risk-management/1/ (閲覧日:2021年7月8日)

2. コンプライアンスの歴史を変えた「連邦量刑ガイドライン」

ここでは、上述した「連邦量刑ガイドライン」がいかにコンプライアンスの歴史に大きな影響を与えたかについて、エピソードを交えて紹介します。

2-1. 「コンプライアンスプログラム」を生んだアメリカの発想

米国の連邦法では、企業の法令違反に対して、高額の罰金が科されます。これは、企業の法令違反が繰り返される度に、法規制を強化し、罰金の増額を繰り返してきた歴史によるものです。

ただし、有罪に対する量刑の判断は、法が規定する範囲内で個々の裁判官の判断に委ねられていたため、客観的な判断基準が求められていました。

1984年、大統領が指名する7名の委員による連邦量刑委員会(Federal Sentencing Commission)が設立され、企業の法令違反に対する裁判官の判断基準が定められました。そして1991年、連邦量刑ガイドラインとして法制化されました。

連邦量刑ガイドラインでは、企業の法令違反に対して、裁判官が違法と判断する基準と共に、罰金を軽減できる基準が定められました。

その判断基準として重要な要素が「コンプライアンスプログラム」です。単にコンプライアンスプログラムが制定されていれば良い訳ではなく、実効性のある有効なプログラムである場合に評価されます。

そのためには、法令遵守の基準と手続き、上級管理職の責任者の任命、懲罰規定などの規定が整備されている必要があります。

コンプライアンスプログラムの実効性を示すには、規定に基づく懲罰や教育啓発が実際に行われている必要があります。また、法令違反に対する情報開示など、捜査への協力の要素も評価の対象になります。

2-2. 日本におけるコンプライアンスプログラムの普及

連邦量刑ガイドラインの考え方は、米国企業のみならず、日本企業におけるコンプライアンスプログラムの導入にも影響しています。

これは、企業のコンプライアンスに対する考え方を、法令遵守にリスクマネジメントを加えて一歩進めるきっかけになりました。

日本でそのきっかけとなったのは、1987年の東芝機械による外国為替及び外国貿易管理法(外為法)に違反した事件です。

この事件は、当時「ココム違反事件」として米国でも話題になり、東芝グループ製品の輸入禁止など、外交問題にも発展しました。

このような法令違反を再発しないために、日本企業にもコンプライアンスプログラムの制定が必要だと叫ばれるようになりました。

そして、海外事業を行うメーカーや商社が、外為法に基づく輸出管理を対象としたコンプライアンスプログラムを制定して、当時の通商産業省に届け出るようになりました。

現在では、主要な企業が様々な法令に対するコンプライアンスプログラムを制定し、実施しています。

3. 1990年代、企業は法律の枠を超え「社会的責任」を問われるように

コンプライアンスプログラムの制定により、企業は社会に対して法令遵守を宣言するようになりました。ところが、日米両国では、法令遵守以前に企業の倫理観が疑われるような事件が発生しました。

ここでは、それらの事件の詳細と、その事件を受けて誕生した内部統制、そしてCSRの普及にどのようにつながっていったのかをご紹介します。

3-1. 法令以前に「倫理」の欠如が問われた歴史的事件

1990年代頃、米国では、企業経営には法令遵守を超えた倫理観が必要ではないかと言われるようになりました。企業が利益追求を目的とするのは当然ですが、その過程において企業が社会的な責任を果たすためには、法令を遵守するだけでは不十分と考えられたためです。

その背景には、企業の倫理観を疑わざるを得ないような事件の発生がありました。最も衝撃的だったのは、エンロンとワールドコムによる粉飾決算事件です。

いずれも、不正な会計処理による巨額の粉飾決算です。しかし、両社の場合は監査法人のアーサー・アンダーセンが不正を見逃したことに加えて、不正に関与していたことが問題になりました。

日本でも、カネボウの粉飾決算で同様の事例があり、中央青山監査法人の公認会計士が逮捕される事件が発生しています。企業の会計処理をチェックするべき立場にある監査法人が、企業の不正に関与していた衝撃的な事件でした。

巨額の粉飾決算を行った3社は、いずれもその後破綻していますが、担当した監査法人であるアーサー・アンダーセンと中央青山監査法人も、顧客の信用を失い解散しています。

米国では、監査法人の中にコンサルティングを行うビジネス部門があり、同じ顧客に監査とコンサルティングの両方を行ない、それぞれ報酬を得ていたことが問題視されました。

元々、ビジネスのコンサルティングは、監査法人が監査を通じて多くの企業の経営を見る中で得た知見をアドバイスすることから始まった事業です。

しかし、この事件を契機に法改正され、監査法人はコンサルティング業務など他の業務を兼務することが禁止されました。

これにより、同じ法人で、監査というチェックとコンサルティングというビジネスの両方を、同じ顧客に提供することはできなくなりました。

歴史を変えたエピソード「米エンロンと日本カネボウの粉飾決算事件」

エンロンは1985年に設立された米国のエネルギー企業で、自社のパイプラインを用いたガスの輸送と販売から事業を開始しました。ガス・電力の自由化に伴い成長し、2000年にはフォーチュン誌の企業ランキングで売上高全米7位になりました。

事業拡大に伴い、価格の変動リスクを抑えるため、先物やオプションというデリバティブ取引を行うようになりました。粉飾決算は、デリバティブ取引の損失を隠すために行われました。

2001年、ウォールストリート・ジャーナル誌がエンロンの不正会計疑惑を報じたことをきっかけに調査が始まり、不正が発覚しました。

監査法人のアーサー・アンダーセンは1913年に設立され、監査、税務、ビジネスコンサルティングを柱とした世界5大会計事務所の一つでした。

しかし、エンロンの不正調査の過程で、監査を担当していたアーサー・アンダーセンの関与が見つかり、連邦地裁に提訴されました。2005年には連邦高裁で無罪判決を得ましたが、すでに顧客の信頼を失っており、2002年に解散しています。

一方、日本でも企業と監査法人による粉飾決算事件が発生しています。

カネボウは、1979年、繊維、化粧品、食品、薬品、日用品などの事業を行う会社として設立され、ペンタゴン経営と呼ばれる多角化で成長しました。

しかし、バブル崩壊後より化粧品事業の黒字が他の事業の赤字を補填する状態が続き、2001年からは債務超過を隠すため、粉飾決算が繰り返されていました。

そして2003年に債務超過が発覚し、2005年に上場が廃止されると共に、元社長等の経営陣が証券取引法違反で逮捕されました。

さらに同年、監査を担当していた中央青山監査法人の公認会計士4名が、粉飾決算を指導していた疑いで逮捕されました。その後、中央青山監査法人は金融庁から業務停止命令を受け、解散に追い込まれました。

3-2. 内部統制の誕生

2002年、エンロンとワールドコム事件の再発を防止するために、企業の内部統制基準を決めた米国SOX法(上場企業会計改革および投資家保護法)が制定されました。

日本でも、2006年に金融商品取引法が成立し、日本版SOX法と呼ばれる内部統制基準が制定されました。

3-3.「企業の社会的責任(CSR)」の普及

監査法人の関与による粉飾決算事件は、レフリーとプレイヤーが結託して法令違反をするようなものです。

そのため、企業には明確な法令違反ではなくても、倫理観を持った経営活動を行い、社会的な責任を果たすべきではないかと言われるようになりました。そして、内部統制基準が制定されて以降、CSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)という言葉がよく使われるようになりました。

CSRの元になる概念は、1994年に英国のコンサルティング会社のJ.エルキントン氏が提唱したTBL(Triple Bottom Line)です。

TBLは、企業の継続的な事業活動のために、経済的な側面に加えて環境的な側面と社会的側面から評価する必要があるという考え方です。

最初にTBLを企業活動の目標にしたのは、デンマークの製薬会社ノボノルディスク社でした。その後、欧州企業からCSRの考え方が各国の企業に広がりました。

日本では、経済同友会が1956年、経団連が1973年に、企業の社会的責任に対する最初の提言を行っています。そして2000年代になり、日本企業にもCSR推進室のような対応組織が作られるようになりました。

さらにその後、CSRの考え方は、国連のSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)につながります。

4. そして21世紀、コンプライアンスは新しい時代へ。SDGsという指標の誕生

SDGsは、2015年に国連のサミットで決められた国際社会共通の目標です。貧困の撲滅や健康福祉から、質の高い教育実施など、2030年を達成目標とする17項目が定められています。

SDGs以前は、各国が独自の法令により、それぞれの基準でコンプライアンス実現を目指していました。しかし、SDGs以降は、国際社会の課題を共有し、国際協調により、共通目標を目指す時代に入りました。

ここでは、CSRの実践からESG投資の普及、そしてSDGsへと、どのようにつながっていったのかを説明します。

4-1. CSRは企業価値の評価指標に

CSRは、企業が様々なステークホルダー(利害関係者)に対して社会的責任を持つことです。CSRの実践は、企業イメージに加えて企業に対する投資環境にも影響します。

CSRは企業価値の評価指標の一つとなり、各種メディアが企業の取り組みを独自の指標で評価し、CSR企業ランキングを発表しています。CSRの実践による企業評価は、企業への投資評価にも使われています。

企業の社会に対する貢献度を評価して投資判断する考え方は、1920年代に米国のキリスト教会が資産運用を行う際に、アルコール、タバコ、ギャンブルなどの事業を行う企業を投資対象から外したことから始まりました。

その後、CSRを実践している企業に対して積極的に投資するSRI(Social Responsibility Investment、社会的責任投資)が生まれました。日本でも、1999年、SRIの基準で運用される最初のSRIファンド「エコ・ファンド」が始まっています。

さらに、2006年にESG情報を企業評価に加えるESG投資が始まりました。ESGとは、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)の頭文字を取った言葉です。

例えば、環境では脱炭素、社会ではダイバーシティ、ガバナンスでは社外取締役の活用などを積極的に実施している企業に投資するのがESG投資です。

4-2. 企業活動の流れを変えたESG投資

ESG投資が生まれたのは、2006年に国連が提唱したPRI(Principles for Responsible Investment、責任投資原則)の中でESGという言葉が初めて使われたことがきっかけです。日本のESG関連資産運用額は、2016年以降増加傾向にあります。

2015年、東京証券取引所と金融庁は、上場企業に対して、持続的に成長可能な経営の指針として、日本版コーポレートガバナンス・コード(CGC:Corporate Governance Code)を制定しました。

CGCでは上場企業が守るべき企業統治の指針として、株主の権利・平等性の確保や株主以外のステークホルダーに対する責任などが明記されています。その中では、「comply or explain(遵守か説明か)」の原則が用いられています。実現できない指針には、説明責任が生じるという考え方です。

2017年、金融庁は機関投資家に対して「責任ある投資家の諸原則(日本版スチュワードシップ・コード)」を改訂し、投資先企業のESG要素を含む非財務情報等の状況を的確に把握することを義務付けています。

これにより、企業がCSRを実践しているか否かは、機関投資家の企業評価に強く影響することになりました。

さらに、2020年に金融庁は同コードを再改訂しました。その中で、機関投資家に対してはESG要素を含む中長期的な持続可能性として、サステナビリティへの考慮やスチュワードシップ・コード活動の結果や自己評価の公表など、さらに踏み込んだ内容を加えています。

4-3. ESG投資を通じてSDGsとつながる企業のコンプライアンス

ESG投資は、SDGsにもつながっています。SDGsは、社会や環境に配慮した持続的経営手法として、国家経営のみならず企業活動の指針になっています。そのため、ESG投資の指針でもあります。

各種メディアは、国単位に加えて企業単位でのSDGs達成度ランキングを毎年発表しています。その影響もあり、企業はSDGsの達成を目指した取り組みを積極的に公表するようになりました。

例えば、トヨタ自動車は、2019年にサステナビリティ推進室を設立すると共に、サステナビリティ部門を統括するチーフ・サステナビリティ・オフィサー(CSO)を新設し、SDGsに積極的に取り組むことを宣言しています。

企業経営の目標に、SDGsが組み込まれるということは、法令を遵守するというコンプライアンスに加えて、事業活動が環境や社会にどのように影響するかを考えて、社会的な責任を果たす、ということを指しています。

そして、果たすべき役割と目標を社内外に宣言して、持続的な経営を目指し、遵守するということでもあります。持続的な経営を実現するには、リスクマネジメントの取り組みが必要です。

環境、社会、経済面から企業活動を評価するTBLの概念からCSRが生まれ、ESGを評価するESG投資が生まれました。コンプライアンス経営は、CSRを実践することにより企業のイメージと投資環境を向上させることで、企業価値を高めることが期待できる経営要素になりました。

Complyは、元々「遵守する」という意味です。法的拘束力のあるハードローに対して、法的拘束力はないが、社会規範やモラルとなるソフトローと呼ばれる分野があります。

現在のコンプライアンスは、ハードローに加えて、ソフトローの遵守が求められています。

コンプライアンス経営は、法令遵守だけでなく、自らリスクを発見して予防するリスクマネジメントに加えて、CSRを実践し、さらにSDGsの達成を目指すことを宣言し、遵守するという経営の指針に進化しています。

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5. まとめ

コンプライアンスは、アメリカで1960年頃から法令遵守の意味から使われ始めました。

1991年、法令遵守のためのコンプライアンスプログラムを評価して量刑を軽減するという「連邦量刑ガイドライン」が法制化され、法令違反のリスクを予測し、予防するというリスクマネジメントが取り入れられるようになりました。

2001年米国エンロン、2003年日本カネボウの粉飾決算事件は、企業の倫理観を疑うような事件でした。エンロンは監査法人のアーサー・アンダーセンが、カネボウは中央青山監査法人が不正を見逃してことに加えて、不正に関与していたことが問題になりました。

この頃から、企業には法令遵守に加えて、倫理観を持ったコンプライアンス経営が必要ではないかと言われるようになりました。

さらに、「企業の持続的な事業活動には、経済的な側面に加えて環境的な側面と社会的な側面から評価する必要がある」という「TBL:Triple Bottom Line」という考え方が欧州企業から始まり、その後、CSR(企業の社会的責任)という考え方に進化しました。

CSRは、企業が様々なステークホルダー(利害関係者)に対して社会的責任を持つことです。CSRの実践は、企業のイメージに加えて投資環境にも影響します。

2006年に始まったESG投資は、企業をCSRの観点から、環境、社会、ガバナンスを評価する投資です。ESG関連資産運用額は増加傾向にあります。

ESG投資は、国連のSDGs(持続可能な開発目標)にもつながっています。SDGsは、持続可能な社会を目指して、2030年を達成目標として2015年に定められた17項目の達成目標です。

企業はSDGsの取り組みを公表して、実践するようになりました。また、各種メディアが各企業の達成を評価し、ESG投資に影響を与えるようになっています。

法令遵守から始まったコンプライアンスは、リスクマネジメントとCSRの要素を加えて経営の重要な指針に進化してきました。さらに、SDGsの実現により、企業価値の向上にも貢献する経営要素になりました。現在では、ハードローに加えて、ソフトローの遵守が求められています。

今回ご紹介したコンプライアンスの歴史と概念を拡大したキーワードと歴史を変えたエピソードから、コンプライアンス経営を実践する意義をご理解の上、自社の最適なコンプライアンスの実現に取り組んでください。

参考)

Written by

一色 正彦

金沢工業大学(KIT)大学院客員教授(イノベーションマネジメント研究科)
株式会社LeapOne取締役 (共同創設者)
合同会社IT教育研究所役員(共同創設者)

パナソニック株式会社海外事業部門(マーケティング主任)、法務部門(コンプライアンス担当参事)、教育事業部門(コンサルティング部長)を経て独立。部品・デバイス事業部門の国内外拠点のコンプライアンス体制と教育制度、全社コンプライアンス課題の分析と教育制度を設計。そのナレッジを活用したeラーニング教材の開発・運営と社内・社外への提供を企画し、実現。現在は、大学で教育・研究(交渉学、経営法学、知財戦略論)を行うと共に、企業へのアドバイス(コンプライアンス・リスクマネジメント体制、人材育成・教育制度、提携・知財・交渉戦略等)とベンチャー企業の育成・支援を行なっている 。
東京大学大学院非常勤講師(工学系研究科)、慶應義塾大学大学院非常勤講師(ビジネススクール )、日本工業大学(NIT)大学院 客員教授(技術経営研究科)
主な著作に「法務・知財パーソンのための契約交渉のセオリー(改訂版民法改正対応)、「第2章 法務部門の役割と交渉 4.契約担当者の育成」において、ブレンディッド・ラーニングの事例を紹介」(共著、第一法規)、「リーガルテック・AIの実務」(共著、商事法務:第2章「 リーガルテック・AIの開発の現状 V.LMS(Learning Management System)を活用したコンプライアンス業務」において、㈱ライトワークスのLMSを紹介 )、「ビジュアル 解説交渉学入門」、「日経文庫 知財マネジメント入門」(共著、日本経済新聞出版社)、「MOTテキスト・シリーズ 知的財産と技術経営」(共著、丸善)、「新・特許戦略ハンドブック」(共著、商事法務)などがある。

執筆者プロフィール

まるでゲームを攻略するように
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